マルプー優太と時々クラシック

還暦過ぎてはじめて犬(♂マルプー2015年元日生まれ)と暮らしはじめました。大好きなクラシックの与太話も

優太への疑い、クラ与太 プーランク即興曲第15番

春めいた優太地方の朝

いつものごとくジージと優太は

お散歩へ行ってきました。

優太は元気そのものの

それに付き合うジージは

疲れました。

帰宅してソファーで休もうとすると

背中に違和感が

優太の仕業か!

優太はシラを切っています。

ウマウマでつって

現場検証です。

優太は否定しています。

「優太、

榊マリコさんか米沢守さんを

呼んで来るよ。」

 

今日のクラ与太は
フランシス・プーランク 即興曲第15番 ハ短調
  「エディット・ピアフへのオマージュ」


ルイ・デュレ、アルテュール・オネゲル、ダイリウス・ミヨー、ジョメーヌ・タイユフェール、ジョルジュ・オーリックと並んでフランス6人組と批評家のアンリ・コレによって呼ばれたフランシス・プーランクは1899年にパリに生まれた生粋のパリジャンである。敬虔なカトリック教徒でコロンヌ管弦楽団の後援会員になる程の熱心な音楽愛好者で大会社を経営していた父、リストの孫弟子でピアノを嗜む母の裕福な一家に育ち、早くから専門的な音楽教育を受け、ピアノ演奏に秀でていた。当時パリには、詩人のジョン・コクトー、美術のパブロ・ピカソ、ファションのマリ・ローランサン、バレエを主催セルゲイ・ディアギレフなど幅広い分野の芸術家が活躍していた。若くして芸術家仲間との交流を持ち、弱冠20代半ばで彼らと創作活動を共同行いバレエ「牝鹿」を作曲、その後2曲のオペラを上演するなど、幅広く活躍した。軽妙洒脱なプーランクの音楽は持て囃され、大衆にも広く受け入れらていった。そんな芸術家の日常交流の場はキャフェであり、そこではシャンソンなど音楽に満ちていた。1932年から1959年に書かれた15曲からなる即興曲集は、カフェにピッタリのピアノ小品集である。最後の第15番ハ短調は、17歳からカフェやナイト・クラブのシンガーとして評判を得てシャンソン界の女王と呼ばれるまでになった、エディット・ピアフに捧げられている。プーランクは彼女と親交が深かった。作曲当時ピアフはモルヒネ中毒を患っていたが、まだ活躍中であり、プーランクが亡くなった3年後の1963年没している。曲は大人の色香が漂うシャンソンワルツ。深みのある赤ワインが欲しくなる。
私のチョイスはイギリス生まれでパリで学んだピアニスト、ポール・クロスリーの全曲録音盤。フェザーのようなタッチで自在な演奏でこの曲の魅力を堪能できる。

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