マルプー優太と時々クラシック

還暦過ぎてはじめて犬(♂マルプー2015年元日生まれ)と暮らしはじめました。大好きなクラシックの与太話も

優太にとってお散歩とは クラ与太 グレツキ 交響曲3番「悲歌」

やむにやまれず欠席した

「犬に優しいしつけ講座」

講師:犬と歩けば棒にあたる 佐藤達也氏

テキスト送っていただきました。

【付き合い方のこつ】

まず、犬としてのニーズをみたす。


ニーズ【暮らしにおいて満たすべき欲求】

1.食事・水 鮮度/質/占有権

2.排泄 生理的/マーキング(コミュニケーション)

3.散歩 情報収集(匂い嗅ぎ)/気分転換、社会学習、コミュニケーション

4.遊び コミュニケーション、心身の発達、エネルギーの発散

5.睡眠 脳と体の休息 

 

優太にとって散歩は

単なる散歩では無く

2~4までのニーズを満たす

大事なものなのです。

朝だから忙しくても散歩には

優太も必死で行きたいと主張します。

最初はおねだりモードで

 

それでもダメなら

必死の顔です。

ついには

強面になります。

お~こわっ

お散歩さきでは

こんなところも

通ります。

優太地方少しでも

安心・安全でありますように!

優太にとっても

社会学習かな?

まさか

明日もお散歩行こうね。

今日のクラ与太は
H.M.グレツキ 交響曲3番「悲歌」作品36

今日はシリアスな作品です。ポーランドの作曲家 グレツキは1933年に生まれ、パリに出てメシアン師事し、不協和音やセリー音楽と言われるバリバリの現代音楽を書いていた。しかし1970年くらいから、中世的・神秘主義的な作風へと変わったいったようです。彼の3番目の交響曲はさらに解りやすい音楽となり、いわゆる現代音楽とは対極にある調性、旋律のある切なく美しく叙情感に満ちあふれた曲です。曲はアウシュヴィッツ収容所大虐殺をテーマのひとつにしています。不条理で犠牲になった人たちへの鎮魂と祈りの音楽です。 第1楽章Lento コントラバス低い音ではじまりカノンでチェロ、ヴィオラ、ヴァイオリンとより高い音域の楽器に受け渡されていき、重なり合って盛り上がっていく、やがて鐘のようなピアノに導かれて、ソプラノ独唱による「私の愛しい、選ばれた息子よ、自分の傷を母と分かち合いたまえ。愛しい息子よ、私はあなたをこの胸のうちにいだき、忠実に仕えてきたではありませんか?母に話しかけ、喜ばせておくれ。私の愛しい望みよ、あなたはもう私の元を離れようとしているのだから。」という15世紀のポーランドの「聖十字架修道院の哀歌」から「祈りの言葉」が歌われます。  第2楽章 Lento e largo-Molt  ソプラノが全編にわたり、悲しい祈りの歌を歌います。歌詞は第二次世界大戦中の1944年9月に、ナチスの秘密警察本部の独房の壁に、18歳のヘレナ・ヴァンダ・ブワジュシュヴナという若い女性の祈りの言葉である。「お母様、どうか泣かないで下さい。天のいと清らかな女王さま、どうかいつも私を助けて下さるよう。アヴェ・マリア」。第3楽章 Lento-Lento e largo-Molt lento-Largo ben tenuto はポーランドのオポーレ地方の民謡。亡くなった息子への母親の悲しみと祈りの歌である。「私の愛しい息子は何処へ行ってしまったの?きっと蜂起のときに悪い敵に殺されたのでしょう。人でなしども後生だから教えて、どうして私の息子を殺したの?もう決して私は息子をたすけてもらうことは出来ない。たとえどんなに涙をながしてこの老いた無を泣きつぶしても、たとえ私の苦しい涙からもう一つのオドラ川ができたとしても、それでも私の息子は生き返りはしない。息子は何処かで墓に眠っている。でも私にはどこだか解らない。至る所で人に聞いてまわっても、可哀想な息子はどこかの穴で横たわっているのかもしれない。暖炉のわきの自分の寝床で眠ることも出来たはずなのに、神の小鳥たち、どうか息子のために囀ってあげて、母親が息子を見つけられないでいるのだから」(訳は全て沼野充義さんのものです。)この蜂起とはショパンが「革命」のエチュードを作曲する継起となって11月蜂起と言われるロシアの支配に対する武装反乱で10万人以上の死傷者を出している。
話題を呼んだのは、ドーン・アップショーの歌唱に魅了されるジンマン指揮ロンドン交響楽団の演奏で大ヒットの切っ掛けとなった録音です。今回私のチョイスは故国ポーランド人によるものヨアンナ・コショウスカのソプラノ、カジミエシュ・コルド指揮ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団による録音です。情感豊かで細部にまで拘った正当派の演奏と言えそうです。1993年の録音で音質も良好です。

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