マルプー優太と時々クラシック

還暦過ぎてはじめて犬(♂マルプー2015年元日生まれ)と暮らしはじめました。大好きなクラシックの与太話も

優太暑さにも負けず。クラ与太 ドヴィエンヌ フルート四重奏曲イ短調

 

今日の優太地方の予想最高気温

31℃

お散歩は早めにすまさなくては

優太早く起きよう。

優太、なかなか

布団からぬけだせません。

それでも頑張って

日陰を求めて散歩してきました。

暑いと少しは疲れたのかな?

伏せして休んでます。

でも給水して

ウマウマ見せると

ランラン元気な

優太です。

お仕事にお出かけしようとしたら

お見送りの優太です。

スマホでパッシャ

変な写真ですね。

今日のクラ与太は激動のフランス大革命の中で生まれた、生まれたココロの襞に染みるような美しいフルートの調べをご紹介します。
フランソワ・ドヴィエンヌ

 フルート四重奏曲イ短調 作品66ー1


フランソワ・ドヴィエンヌは以前フルート協奏曲を取り上げた通り、フランス革命の動乱期に活躍したフルーティスト兼作曲家でパリ音楽院の初代フルート教授を1793年から勤め、フルート教則本「フルート演奏の理論と実践」を出版するなどフルートを学ぶものにとっては重要な音楽家である。1759年フランス東部のジョワンヴィルに生まれ、地元の聖歌隊で音楽教育をうけ、兄の粗末な楽器でフルートを吹き、作曲も独学で学んだようである。やがてスイス軍の駐屯地の音楽家として雇用されミサ曲なども直ぐに作曲した逸話が残っています。その後パリに上京、フルーティストや作曲家だけでなくバスーン奏者としてパリ・オペラ座のオーケストラに職を得、頭角を顕す。ピアニストのフンメルやヴァイオリニストのクロイッツエルなどとも交流をもつようになった。フランス防衛軍軍楽隊の軍曹の階級をもち、後のパリ音楽院になる無料音楽学校で教鞭を執る義務を負わされていた。また1790年には当時のフランス革命の世相を反映したオペラ「ル・マリアージュ グランデスタン」は大好評を得るなど一躍時代の寵児たなったが、時代の激流に翻弄されまた仕事が多忙を極めるなど繊細な神経の持ち主であったドヴィエンヌは精神を病みパリ郊外の精神病院に入院そこで死を迎えることとなった。
このフルート四重奏曲は3つの楽章から成り立っている。1楽章 Allegro amobile 哀感漂う古雅な主題で始まり、長調に転調して明るくなり快活に展開していくソナタの楽章です。2楽章 Adadio シンプルなゆったりとした旋律が印象的なロマンティックな楽章です。 3楽章 Presto バッハの管弦楽組曲2番のバディネリを思わせるパッセージで始まり、活き活きとしたリズムにのって華やかに進んでいくロンドです。 
フランスのモーツァルト呼ばれるギャラントな作風でもフルートなど楽器の特色をよくとれていて、いかに当時の表現能力に限界がある楽器から魅力的な演奏が出来るように考えられていています。そこで今回の私のチョイスは1790年頃のトラヴァルソ(当時のフルート)のコピーモデルをピリオド奏法のバルトルド・クイケンが吹き、寺神戸亮ヴァイオリンをフューチャーし、サラ・クイケンの ヴィオラ、ヴィーラント・クイケンのチェロと一族の息の合ったアンサンブルが見事な、2003年の録音です。アクサン・レーベルです。

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