マルプー優太と時々クラシック

還暦過ぎてはじめて犬(♂マルプー2015年元日生まれ)と暮らしはじめました。大好きなクラシックの与太話も

優太、ボサ男判明! クラ与太 ベートーヴェン 弦楽四重奏曲嬰ハ短調 作品131

優太です。
この頃異常気候、優太地方だけではないですね。
同じ県内でも雪国の会津でもイヴさんのブログ拝見したら、
鶴ヶ城に雪が全くなく吃驚しました。
優太の生まれ故郷は同じ県内でもめったに雪の降らない
いわきなんですけどねぇ。
ジージにとっては千鳥足であるっても安心だと喜んでいるんだけど、
歳なんだから油断はしないでねぇ。


で、ジージがお休みしようかと思ってたとき、
酔っぱらって帰ってきて、
カメラ出持ち出してきたんだ。
でもいつもは優太のようにレンズが鼻高いのに、
今日はフレンチブルに鼻ならぬレンズがペチャってる。

パンケーキレンズとか言うらしい。
で、凄く近づいて撮ろうとしてる。
そのアップがこれ。


女子なら喜びそうな、
ソフトフォーカス?
む…。これは!
部屋が暖かくてレンズ曇っただけらしい。
でキレイに拭き取ってもらって
もう1回パチリ!
なんということでしょう。
けむくじゃらが一匹。


「こんなんで、クリスマスも誕生日もいや!
トリマーのお姉ちゃんとデートしたい。」

「バーバが予約入れたからしばし我慢」



 今日のクラ与太は、
L.V.ベートーヴェン 弦楽四重奏曲 嬰ハ短調 作品131


ベートーヴェンが1826年に作曲された弦楽四重奏曲。ヨーゼフ・フォン・シュトゥターハイム男爵に献呈されている。7つの楽章から構成されているように見えるが、実質的には1楽章、3楽章、8楽章は次の楽章への序奏と見なせるほどの長さ、しかも全曲を通して演奏されることが通例である。弦楽四重奏曲というジャンルはハイドンによって交響曲と形式が完成をみた。そしてモーツァルトのハイドンセットやベートーヴェンの後期三曲まではその枠内で発展してきた。しかしこの晩年の作品群で伝統を内在しつつも新たな地平に踏み出した。特にこの三曲の中でもこの嬰ハ短調は最も精神的な表現が形式からの自由を手にしている。交響曲と言うジャンルでは、シューマンも、ブラームスも、ブルックナーさえも到達していない地平であり、グスタフ・マーラーよって初めて得た自由なのかも知れない。ベートーヴェン自身も「この後で我々は何が書けるというのだ?」と述べたいう逸話が伝えられているが、最高傑作と認識していたのは間違いないと思われます。
このように書くと難渋な音楽家と思われますが、実のところは明瞭で美しい旋律が随所に顕れ理解し易い作品でもあります。
この曲私が最近聴いているのはブダペスト弦楽四重奏曲の1961年録音盤。録音は必ずしも兆候ではないし、耳を惹く奇をてらった演奏とはほど遠い地味と行っても良いほどだが、自然な呼吸で展開する有機的な調べはこれ以上の何が必要なのかと思われます。これと対局なのはアルバン・ベルグ弦楽四重奏曲。これ程に同じ曲でも違いがあるかと思われます。

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