マルプー優太と時々クラシック

還暦過ぎてはじめて犬(♂マルプー2015年元日生まれ)と暮らしはじめました。大好きなクラシックの与太話も

優太、便りがないのは元気な証拠? クラ与太 チャイコフスキー 序曲「1812年」 

優太です。
ご無沙汰でしゅ。
何かあったとご心配をかけましたか?
優太はず~っと元気でした。
トリミングに行ってきました。
そこでひとつだけ残念な話が一つ
大好きなトリマー、Kさんが
4月いっぱいで
出産のため退社するそうです。
優太もう一回で、会えなくなるのかな?
寂しいです。

 




こんな感じの毎日です。
では何で更新できなかったか?
ジージのドジが原因です。
パソコン故障ととネット環境の変化で
つながりづらい状態が続いています。
ジージはこのさい一新して
最新の状態にしたいらしく
あれこれやっています。
もう少しお待ち下さいね。

 
クラ与太は気に沿わぬ事でもトライしてみると意外なほど好結果なることも意外と多い。そんな代表曲をご照会します。
P.I.チャイコフスキー 
 序曲「1812年」 変ホ長調 作品49
チィコフスキーが40歳の1880年に指揮者で友人でもあったニコライ・ルビンシティンが音楽部長を務める産業博覧会で演奏するために、彼と懇意の出版社ユルゲンソーンから依頼に応えて祝典的な序曲。アレクサンドル2世の即位25周年を祝う作品でもあった。2年前の1878年に長らく勤務していたモスクワ音楽院の職を辞し、ヨーロッパ各地を訪れたいた時期で大曲の創作からは遠のいていた時期である。同年にはクラ与太で取り上げた弦楽セレナードも書かれている。最初は乗り気ではなく、収入を得るために嫌々ながら義務的に取り組んだ作品のようで、パトロンのメック夫人には「凡庸なもの或いは騒々しいもの以外に何が書けるでしょうか?依頼を断る気にもならない」と書き送っているほであった。依頼者のルビンシティンは翌1881年死去、博覧会も開催されることはなかった。が、翌年に出版社に楽譜を送付、翌1882年出版されることたなった。同年のモスクワで開催された産業芸術博覧会で初演されたが、評価は芳しくなかった。その後作曲家自身の指揮でサンクトペテルブルク1887年に演奏されと時に高い評価を受け、彼の作品の中でも人気曲となった。自らの意志ではなく、しかも本気で取り組んだ作品ではないのだが、そのことで却って肩に力みのない作品となり解りやすく親しみやすくなったのかも知れません。自作の旋律ではなく既存の旋律を取り入れチィコフスキー音楽魅力の彼一流の管弦楽法で是でもかと言わんばかりに彩り盛りあげていく快感に満ちあふれた作品となっています。
曲はラルゴ、ヴィオラとチェロの独奏によるロシア正教会の聖歌「神よ汝の民を救い給え」で開始されます。やがてティンパニーのトレモロでロシア軍の行進とされる軽やかな旋律がマーチとなります。やがてポロジノ地方での激戦を表現すると言われる部分となります。これはフランス国歌、ラ・マルセイエーズとロシア軍の旋律との掛け合いで展開し、やがてロシア軍の勝利を高らかに祝う華々しいエンディングを迎えます。この辺が文句なく快感を覚えます。
今回の渡しのチョイスはユージン・オーマンディ指揮フィラディルフィア管弦楽団の演奏です。録音は1970年。管弦楽の巧さはピカイチです。YouTibeでは小澤征爾指揮ベルリンフィルハーモニーによるライヴを貼り付けておきます。ライブならではの盛り上がりが堪能できます



チャイコフスキー 1812年(序曲) 小澤征爾




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