マルプー優太と時々クラシック

還暦過ぎてはじめて犬(♂マルプー2015年元日生まれ)と暮らしはじめました。大好きなクラシックの与太話も

優太、鬼になる?! クラ与太 リスト「前奏曲」

昨夜の節分いや「鬼やらい」いかにお過ごしでしたか。

本来は大晦日の行事が、節分に移ってきたらしい。

優太一家には事件が起きました。

ジージが処分予定のコンデジを取り出してきたら…

 

優太が鬼に変身。

優太の本性が現れたのか?

 

 

次のショット

優太はグレムリン変身!

 

どうも古いコンデジには

異次元機能があるらしい! 

コンデジのカードに

こんな可愛い優太を 発見

家に来た直後の2ヶ月ちょっとです。

 

今朝の優太と比較してみてください。

まぁ~育ったもんだなぁ~。

 

今日のクラ与太は、

フランツ.リスト 交響詩「前奏曲」S.97

ロ野球なら、渦中の人清原・桑田時代とか松坂時代とか突出した選手が集中する年度があるが、クラシック音楽に当てはめるとF.メンデルゾーン(1809年)、R.シューマン(1810年)、F.ショパン(1810年)、そしてF.リスト (1811年)が断トツでしょう。ロマン派音楽を代表する作曲家が相前後して誕生している。ロマン派音楽は1つのムーブメントたる由縁でもあります。超絶技巧のピアニストとして圧倒的な人気を誇り、その作曲・編曲も自分が演奏するための作品が大半を占めています。指揮者としても活動し、管弦楽曲を作曲しようと試みた事もあり、第一線のピアニストとしての活動を控えていた1850年頃からのヴァイマールを拠点とした時期に集中している。特に標題音楽をより進め、詩など文学的あるいは絵画的な内容を表現する管弦楽曲として、単一楽章の「交響詩」と言うジャンルを確立した。その第1作はフランスの作家ヴィクトル・ユゴーの詩集「秋の葉」による「人、山の上で聴きし事」、第2作がドイツのゲーテを素材とした「タッソー、悲劇と勝利」それに続くの第三作がこのフランスの詩人、ラ・マルティーヌによる「前奏曲」である。この曲は最初オートランの詩に基づく、男声合唱曲「四大元素」のための序曲として1848年に作曲された曲である。この曲に1854年に手を加えて交響詩として発表するときに 、ラ・マルティーヌの詩「詩的瞑想録」から引用して「序文」に記し、標題とした。同地で作曲者の指揮によって初演された。

標題は「人生は死によって開かれる道の歌への一連の前奏曲である。あらゆる存在は愛により誕生するが、嵐によって喜びが中断されない運命はなく、田舎暮らしの静けさの中でその想いでを忘れようとするが、ひとたび戦いのラッパが鳴れば、必ず戦場に赴かなければならぬ。」 曲は四部からなり、低弦による「死」と「誕生」を想起される基本音型のある第1部、「嵐」の第2部、「田舎の音楽」の第3部、ファンファーレとマーチによる「戦場」の音楽の第4部、フィナーレで基本音型によって締めくくられる。表面的には、ナチが政権を奪取し第二次大戦の戦意高揚のプロパガンダに利用されたのも納得できるような内容でもある。しかし本来はロマンティシズムに満ちた「人生の応援歌」であるはずです。

ただお奨めの録音となると、フルトヴェングラー指揮 ウィーン・フィルハーモニー。1953年録音となります。評論家U氏が絶賛しているので他の盤を探してみたのですが、この曲をこれだけデモーニッシュ且つエロティックに表現しきっている演奏は見あたりませんでした。フルトヴェングラーはこの曲を必ずしも評価していなかった言うことが伝わっています。それ故どこか醒めているところが、何処か空疎なこの作品から見事な感動深い演奏で仕立てている。やはりフルトヴェングラーはただ者ではありません。

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