マルプー優太と時々クラシック

還暦過ぎてはじめて犬(♂マルプー2015年元日生まれ)と暮らしはじめました。大好きなクラシックの与太話も

優太の朝は忙しい クラ与太 ダウランド「蛙のガリアード」

朝、優太を起こすのは

私の務め

今朝は

私が行く前に起きてました。

ケージを開けるやいなや

すぐ飛び出してきました。

ベッドを持ち出してきて

上でマッタリしています。

優太ベッド逆さだよ

まだ眠いのかな

優太も朝飯を取り

お散歩に出発

いつもの30分コース

暑い暑い

途中うんPもきっちり

チョコ先輩にご挨拶も完璧

給水タイムももうけたが

帰宅後まっしぐらで

水かぶのみ

まだ暑そうに

ハァハァしている

Tシャツ早く脱ぎたそう

またたくまに

Tシャツたくし上げていた

いそぎのようなので

万歳させて脱がせてやった

いそいでぬぎたいようなので

今朝は万歳させて楽にしてあげました。

 

今日もお散歩途中で

盛んに鳴き交わしていた

蛙にまつわる曲を取り上げます。

クラ与太

 ジョン・ダウランド「蛙のガリアード」P23&23a

作曲家のジョン・ダウランドはエリザベスⅠ世統治下の1562年にイギリスに生まれたリュート奏者兼作曲家。400年も前の人物だけに不明な点も多く伝説的でもあります。1588年には音楽を学んでオックスフォードのクライスト・チャーチ・カレッジから学位を授与されているが、カトリック教徒であったこともあり職を得ることが難しく、1580年にフランス駐在大使ヘンリー・コバム卿の従者としてフランスに滞在。1591年にイギリス王室の女王付きのリュート奏者に空きが出たが採用されされなかった。失意の彼はイタリアへ向かうが、フィレンツェでエリザベス女王暗殺の陰謀を企むカトリック集団と関わりを持ってしまう事にもなった。1597年には最初の「歌曲集第1巻」を出版するなど次第に名声を高めていった。デンマーク王室で職を得るなど海外でも活躍。この時期最もよく知られている「あふれよ涙」が書かれた。その後帰国ウォルテン卿に仕え1612年にジョージ1世のもとで念願の「王室付きリュート奏者」となり、息子のロバートに譲るまでその地位にあり、その後程なくして亡くなっている。なお彼の作品にはPと言う番号が付けられるがこれはリュート曲に限ってつられている。この「蛙のガリアード」は異なった版が続けて演奏されるためにP23&23aと表示される。ガリアードとはパヴァーヌと同様、イタリア起源の舞曲だが、パヴァーヌは2拍子のゆったりとしているのに対して、ガリアードは3拍子の明るく活発な舞曲である。ダウランドはこのガリアードを好んでいて30曲以上の作品が残されている。その中でももっともよく知られているのがこの曲である。ただ「蛙」の由来は、エリザベス女王に求婚したフランス貴族のアンジュー卿アランソンをその体型から「蛙」と渾名で呼んでいた事に由来スト言われる手いるが詳細は不明である。リュートとは西アジアでは「ウード」と呼ばれる楽器を起源としてる楽器でルネッサンス~バロック期にかけて変持てもてはやされた楽器。日本の琵琶とも同じ流れの楽器。ウードもリュートも英語ウッドと同じ語源で木を意味している。バロック期以降は大きな音がでない、和音への対応が難しいなど衰退していった。そのためリュート作品がギター演奏されることも多いが、その古雅な音色は非常に魅力的であり、古樂の見直しとともに楽器も作られるようになっている。この曲は優雅でシンプルな旋律な変奏されるように進んでいる。途中では有名な「グリーン・スリーブス」によく似たメロディーも出てくる。当時のイギリス王宮にいるような気分にさせてくれる。

ギターによる名演も多いが今回のチョイスはアメリカ生まれでのちスイスのバーゼルで研鑽をつんだ現代を代表するリュート奏者ポール・オデットの演奏1994年の演奏。ハルモニア・ムンディ盤。

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