マルプー優太と時々クラシック

還暦過ぎてはじめて犬(♂マルプー2015年元日生まれ)と暮らしはじめました。大好きなクラシックの与太話も

優太、雨天決行!クラ与太 ベルリオーズ 「ハンガリー行進曲」

優太地方、今日もは雨降りでした。

朝になっても暗いので

寝ぼけ眼の優太です。

 朝飯完食した後

お散歩行けないよ

くぅくぅないて

甘えています。

取りあえずウマウマを

与えてみてもまだまだお散歩行きたい

そぶりです。

結局雨天決行

雨中のお散歩に行ってきました。

と言っても家の道路を挟んだお向かいの

希望ヶ丘中央公園まで

公園でウンPしてスッキリ帰ってきました。

が、ずぶ濡れなのでシャンプー。

でも洗面台で大暴れです。

それでもどうにか終了。

まだドライヤーは充分でないのですが

後悔することもなくまた

行きたい雰囲気まんまんです。

今日のクラ与太は、前回コダーイを取り上げたのでまたハンガリーに因んだ作品です。クラシックの与太話では同じ旋律が色々な作品で聴けることからその出自に関して度々論じられる作品でもあります。
エクトル・ベルリオーズ
 「ハンガリー行進曲」劇的物語「ファウストの効罰」より

1824年頃のベルリオーズは文豪ゲーテの「ファウスト」のフランス語訳を購入し魅了され読み漁って、この作品を音楽で表現しようとして「『ファウスト』からの8つ情景」を作曲、自費で出版した。その楽譜を彼はゲーテ贈呈したが、ゲーテは評価することなくベルリオーズに返送し、20年ほどそのまま放置されました。1845年から翌年にかけてベルリオーズはオーストリア、ハンガリー、チェコ、シレジアなどに演奏旅行を行った。そのさいウィーン滞在中に次に演奏するハンガリーのペスト(ブタ地区とペスト地区が合併するのは1873年)で演奏するために、当時ハンガリーで伝わっていた「ラコッツィー行進曲」を管弦楽版に編曲して一夜のうちに完成した言われています。ベルリオーズは回顧録で投宿していたホテルに黒服の匿名の密使が訪ねてきてペストで演奏して欲しいと反ハプスブルク家的思いが込められた音楽素材を手渡された述べている。その素材というのが1703年ハプスブルク家に対して反旗を掲げてハンガリーの独立をはかり2年後にほぼ全土を掌握しハンガリー王となったハンガリーの大貴族ラーコーツィ・フィレンツ2世をハンガリー独立の英雄として讃える曲としてハンガリーで広まっていた曲です。蘊蓄としてはこのラーコーツィ候が外交の手段に使ったのが貴腐ワインとして有名な、「トカイ・エッセンシャル」。トカイとは彼の領地です。この行進曲のハンガリーの作曲者と目される人も何人かあるようですが、1820年にペストの軍楽隊長でもあったミクローシュ・ショールが幾つかの素材に基づいてまとめたものとされています。ペストでの演奏も大好評を収め、気を良くしたベルリオーズは当時劇的物語として作曲中だった「ファウストの効罰」の中に取り入れることなり、その中でも特に好評だったので組曲の第1曲として広く演奏される事となった。ベルリオーズは行進曲名をハンガリーで演奏するために「ハンガリー行進曲」と命名している。同じ素材はリストはハンガリー狂詩曲15番に用い、好評であったためリスト自身が管弦楽に編曲している。が、リストの曲名は「ラコッツィー行進曲」のままである。コダーイもこの素材を自身の作品に引用しているなど、ハンガリー民族の愛国的音楽である。なお回顧録の逸話はクラ与太で以前述べた通りベルリオーズが、オラトリオ「キリストの幼時」でもフィクションを演出して人気を得たこともあり、黒服なのはモーツァルトのレクイエムと同じで作り話の可能性を否定出来ません。「ファウストの効罰」は初演では大失敗。その膨大の編成故に最近まで演奏される機会は少なかったようで、もっぱら組曲ないしはこの「ハンガリー行進曲」が単独で演奏されていましたが、作品の真価は認められておりプログラムに上る機会も多くなってきています。華やかなファンファーレに始まり、ハンガリー風な情熱的な旋律が華麗に繰り広げらます。打楽器や金管楽器の扱いも秀逸です。愛国的に熱狂的に盛りあがりフィナーレを迎えます。アンコールピースとして取り上げれらるのも納得です。
今回私のチョイスは、ハンガリー出身のフレンツェ・フリッチャイ指揮ベルリン・フィルハーモニー。1950年録音です。モノラルですが明晰でバランスの良い録音です。。若き日の母国愛に溢れたフリッチャイの颯爽とした指揮ぶりとベルリンフィルの完成度の高いアンサンブルの見事さは別格です。

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