マルプー優太と時々クラシック

還暦過ぎてはじめて犬(♂マルプー2015年元日生まれ)と暮らしはじめました。大好きなクラシックの与太話も

優太失恋? クラ与太 トスティ「君なんかもう」


先日ドッグランで、ふがいなくも敗北し、
かみさんに慰められている優太。


ドックランデビューの晩、かみさん曰く、
「優太、逞しい男の子にするには、嫁さんでも迎えるしかないんじゃない。」
「嫁さん?はぁ~。優太まだパピーじゃんか。」
その日、話はそこまでだったのですか…。


帰宅準備していると、一昨日早番で家に戻っているはずのかみさんから電話。
「優太にお似合いの子がいた。Tプーだけど、可愛いくて優しいそうな子。」
「ちょっと生育が遅めなので、4ヶ月近いのだけで、店頭に出たばっかりなんだって」
「とりあえずC(優太の時のペットショップ)へ、行ってみて。」
訳の分からぬ優太を助手席に載せて、Cへと車を飛ばす。どこかでかみさんとすれ違ったやら、
もし決まったらどんな名前にしようかな?そうだ優希なんかどうかな?
C到着、店内に入ると。
居ました可愛い子、優太と同じアプリコット。
契約カウンターに座っている中学生くらいの女の子にだっこされて。
優太はシッポ振って「くぅ~」と一声。
優太が「ちょとまった」コールをする前に、退散することにしました。
かみさんに顛末を電話。
「残念。しょうがない。『優希』て名前も決めてたんだけどね。」
「?」
私ら夫婦趣味も好みもまるで違うのに、考えることは同じでした。


今朝の散歩中。雨滴したたるコスモスの花の傍で佇んでいる優太。
どこか憂いが


今日のクラ与太は、
サー・フランチェスコ・パオロ・トスティ 「君なんかもう」
1846年にイタリアに生まれ、300曲ほどの歌曲を残したトスティでも最も親しまれている作品です。ナポリ音楽院に12歳で入学した神童だったようで、先日紹介したフルート協奏曲を書いたメルカダンテにも師事しているようで、教官助手も務めていたようです。生まれ故郷でオルガン、指揮者、声楽教師としてキャリアを始めるとともに歌曲を書き始め、やがてローマなどに活躍の場を広め、イタリア王室の声楽教師となり、1880年ころから当時最大の音楽市場であるイギリスに赴き、イギリス王室の声楽教師にともなりサーの称号まで得ています。サロン風な上品な作品が多く、ヨーロッパ中でもてはやされていたようで、楽譜もよく売れたようです。現在でも声楽を勉強する方には好んで取りくまれる方も多く、一部には特に自分で歌われる方には絶大な根強い人気もあります。
 この「君なんてもう」は友人でピアノも嗜むカメロ・エッリーコの詞に、トスティには珍しくオペラティックで雄弁な旋律をつけています。魅力的で聴くだけでゾクゾク鳥肌が立った記憶があります。歌詞は振られた男の情けないみれたらたらです。
「君のことなんか想いもしない。別の理想の人を夢見ているから 君なんかもう愛してないのさ。」 「似てる誰かを愛せるから」なんて言う日本の詞を思い出しませんか?
旋律は恨み節でなく、明るく彼女との美しい思い出を大切に歌い上げていて、共感がもてます。ちなみに日本語訳の題「君なんてもう」余韻がありますが、原語では「Nont’amo piu(君をこれ以上愛せない)」断定しています。訳詞の戸口幸作さんの妙ですね。この曲が日本でかなり広めに知られているのは、この訳題も寄与しているのでしょうね。


 お勧めの一枚はあえて女声で
 スミ・ジョー(ソプラノ)ヴィンチェンツォ・スカレーラ(ピアノ)録音1997年


テクニックには走らずに暖かな声で端正に歌われていて一押しの録音だと思います。



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