優太にひっつき虫が! クラ与太 カリンニコフ 交響曲1番 ト短調
優太地方、平年並み?の寒波来襲!
道路はうっすらと雪模様で凍結。
でも、日差しもあったので、
優太とお散歩へ。
凍っているところはさすが歩きにくそう。ハッちゃんは何事もないように、
平気で散歩している。
シュナイザーは寒さに強のかな。
優太も寒さに負けずどうにかお散歩終了。
足がぬれたので吹いてやろうとすると
様子が変。なにかあちこち痒がっているよう。
よく見ると、↓これが何個かついてました!
ひっつき虫と優太地方で言いますが、
オナモミというのが学問的な名称だそうです。オナモミとオオオナモミとイガオナモミとあるそうです。
在来種はオナモミ。
しかしオオオナモミとイガオナモミが外来種としてやってきて、
オナモミは絶滅危惧種になっているようです。
優太についたのはその中のイガオナモミ。
特に取れにくく痛みも強いやつらしいです。
優太に我慢してもらって
オナモミと格闘しました。優太から無事除去できました。
優太に笑顔が戻りました。
終わったときには私の出勤時間!
窓の側にきてお見送りしてくれました。
癒されます。
こんな顔されるとまっしぐらで帰宅したくなりますね。
今日のクラ与太は,
寒い季節がやってくると無性に聴きたくなる曲。ヴァシーリー・カリンニコフ 交響曲1番ト短調
ヴァシーリー・カリンニコフは1866年に下級警察官の息子としてロシア生まれ、グラズノフより1歳年下、ラフマニノフより7歳年上である。長らく結核を煩い、35歳の1901年に亡くなっている。幼い頃より才能を認められ、モスクワ音楽院に入学するも貧しさ故、学費未納により退学している。その後奨学金を得て、ファゴットを学びながら、ファゴットやティンパニィ、ヴァイオリンの演奏や写譜などで生計をたてながら、作曲を学んでいる。1892年にチャイコフスキーに才能を認められ、劇場の指揮者の職を得るとともに、モスクワのイタリア歌劇団の指揮者も勤めているが、過労がたたり結核が悪化することとなった。彼の作品を代表するこの交響曲はこの多忙の時期、1894年から1895年にかけて作曲された。リムスキー・コルサコフに金銭的な援助を得るために楽譜を送るも、演奏不能の評価を下されてしまったが、友人たちの援助により1897年に初演され好評で迎えられたが、彼は健康上の理由で立ち会うことも出来ず。1901年に出版された時にはこの世の人ではなかった。作品としては決して大ヒットしたわけではなかったが、魅力ある作品と認める人は多く、あの大指揮者トスカニーニが録音を残している。また日本初演はなんと1925年に近衛秀麿指揮によって行われている。その他アーベントロートやシェルヘンなど録音も残されているなど決して埋もれていた作品ではなかったようです。それはいかにこの作品が魅力的であることの証なのでしょう。この曲がクラシックファンの間でで大ヒットしたのは香港のナクソスレーベルから1995年に発売されたクチャル指揮ウクライナ交響楽団のCDが大ヒットしたことによる。このCDの発売によりアマチュアの管弦楽団が演奏に挑戦することも多く、私の母校の管弦楽部も取り上げており、プロの管弦楽団でも取り上げられることが増え、昨年には仙台フィルも定期演奏会に取り上げています。
この曲の魅力は何度言ってもロシア的な哀愁感漂う美しいメロディーにあります。冒頭、雪原を思わせる凛とした趣の旋律は聴く者の心をとらえてるでしょう。シンプルながら見事なオーケストレーションの展開部は完成度も高いスコアになっています。2楽章の弦楽器の旋律を管楽器が絡んでいく叙情的な旋律も白眉です。この旋律は3楽章の中間部にも現れます。また4楽章の終わり近くには1楽章の冒頭旋律が再現されるなど、統一感のあることもこの曲の魅力の1つです。チャイコフスキーの第1交響曲「冬の日の幻想」に似ているとも言われていますが、この曲の方が完成度においても魅力的にも凌駕していると私は思っています。
この曲は演奏を選ばないと思っていますが、しいて1枚と言えば
エフゲニー・スヴェトラノフ指揮のNHK交響楽団
1993年2月3日のNHKホールでのライブ録音をあげます。
実はこのライブがあったことでその後に出たクチャル指揮ウクライナ交響楽団のナクソスCDがヒットするきっかけにもなっています。