マルプー優太と時々クラシック

還暦過ぎてはじめて犬(♂マルプー2015年元日生まれ)と暮らしはじめました。大好きなクラシックの与太話も

優太地方、瑞雲出現! クラ与太 ロココの主題による変奏曲

すっかり秋めいた優太地方
ふと見上げると西の空に七色に光る雲が。
スマホでパチリ。

これが気象用語で言う彩雲。
虹とは太陽の側の通りかかった雲内の水滴によって、日光が回折し波長の違いによって色づく現象。
虹の親戚みたいなものですね。古くからめでたい予兆として、瑞雲、慶雲とも呼ばれているそうです。




さっそくうちに帰ったら良いことありました。
お世話になっている方からとびっきりの枝豆が
おいしゅうございました。
色気よりも何よりも食い気の優太一家でした。


今日のクラ与太は、
チャイコフスキー ロココの主題による変奏曲 イ長調 作品33


チャイコフスキーが36歳の時にチェロの名手カール・ダヴィドフの演奏に接して感銘をうけて書いたチェロと管弦楽のための作品。友人でモスクワ音楽院の教授でもあったウィルヘルム・フィツェンハーゲンに捧げられ、初演されました。が、その時彼は作曲中にも打ち合わせていたにも関わらず、無断で曲順を入れ替え第8変奏をカットして演奏。翌年には無断で出版してしまいました。初演自体は成功したため、事後報告を受けたチャイコフスキーは不承不承ながら承諾し、自筆は削除したようです。その後原作は20世紀になって科学的に複製され出版されました。ただすでにフィツェンハーゲンの版による演奏が親しまれていたため、未だに原典版による演奏の方が少数派となっています。原曲の第三変奏ニ短調から第四変奏を挟んでフィナーレ、演奏効果抜群でドラマティック。バレエ音楽なでもおなじみなチャイコフスキーの音楽そのものです。


今回のお勧めは 
レナード・ローズ(チェロ)ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団 録音1965年
格段に美しい管弦楽の色彩的でマイルドな響きと暖かいローズのチェロが紡ぎ出すとびきりの上質な音楽に身を任す贅沢を満喫して下さい。

優太、オオカミに?! クラ与太  べートーヴェン ピアノソナタ14番

仕事を終えて帰宅すると。門前で
珍しく優太がかみさんに抱っこされてされてお出迎?
優太の頭を撫で撫ですると。
かみさんが私の頭の上の方を指さす。
振り返って見ると、雲間に巨大な月が
優太地方薄曇りだったので、スーパームーンはダメだった思っていたら。
運良く少し雲が薄くなってすけて見えていた。
三脚もないし、薄雲もかかっているので幻想的に、
手持ちで、古いタイプの望遠ズームしようでハレーション気味に
と思って2回シャッター切ったら、完全に月は雲間に消えた…


そう言えば北欧がどこで、
月の光を浴びると、人はオオカミ男に、犬はオオカミなる。
そんな、物語なかったっけ?
マジ?

朝優太がいつもよりくぅくぅ啼いている。
オオカミになったのかと心配しているのかな?

「口あいてみ!」
「どう?」
「そういえば歯がちょっと牙みたいに? うそだよ~ん」


今日のクラ与太は、
ベートーヴェン ピアノソナタ14番 嬰ハ短調 作品27の2
スーパームーンにちなんでべたにこの通称「月光ソナタ」を取り上げるのは気恥ずかしいのですが、はやり巨大な月をみてはこの曲以外になかったのです。
月光ソナタというと一楽章アダージョ・ソステヌートのレルシュターブが「ルツェルン湖の月光の波に照らされている小舟のよう」言う、右手の三連符と左手の重厚なフレーズの部分ではなく、第2楽章のアレグレット、スケルツォの楽章。まるで月でウサギがダンスしていてようでどこか揺らめく。ここの方が昨晩のスーパームーンにはぴったりだと思った次第です。
 曲は3楽章プレスト・アジダートで嵐を思わせる激情的な音楽です。最後は1楽章のアルペジオで締めくくられます。ベートヴェン自身の命名のように「幻想曲風」そのものです。


お勧めの名演名盤数知れずですが、フリードリッヒ・グルダのソナタ全集盤録音のものをお勧めします。ジャズなど幅広く活躍し従来の解釈には囚われることもなく闊達な点が魅力です。が、ここでは作曲者へのリスペクトもあり比較的謂わば真っ当な仕上がりになっています。しかしリズムが生き生きとしてそこがこの曲、特に私が好きな2楽章にマッチしています。

優太失恋? クラ与太 トスティ「君なんかもう」


先日ドッグランで、ふがいなくも敗北し、
かみさんに慰められている優太。


ドックランデビューの晩、かみさん曰く、
「優太、逞しい男の子にするには、嫁さんでも迎えるしかないんじゃない。」
「嫁さん?はぁ~。優太まだパピーじゃんか。」
その日、話はそこまでだったのですか…。


帰宅準備していると、一昨日早番で家に戻っているはずのかみさんから電話。
「優太にお似合いの子がいた。Tプーだけど、可愛いくて優しいそうな子。」
「ちょっと生育が遅めなので、4ヶ月近いのだけで、店頭に出たばっかりなんだって」
「とりあえずC(優太の時のペットショップ)へ、行ってみて。」
訳の分からぬ優太を助手席に載せて、Cへと車を飛ばす。どこかでかみさんとすれ違ったやら、
もし決まったらどんな名前にしようかな?そうだ優希なんかどうかな?
C到着、店内に入ると。
居ました可愛い子、優太と同じアプリコット。
契約カウンターに座っている中学生くらいの女の子にだっこされて。
優太はシッポ振って「くぅ~」と一声。
優太が「ちょとまった」コールをする前に、退散することにしました。
かみさんに顛末を電話。
「残念。しょうがない。『優希』て名前も決めてたんだけどね。」
「?」
私ら夫婦趣味も好みもまるで違うのに、考えることは同じでした。


今朝の散歩中。雨滴したたるコスモスの花の傍で佇んでいる優太。
どこか憂いが


今日のクラ与太は、
サー・フランチェスコ・パオロ・トスティ 「君なんかもう」
1846年にイタリアに生まれ、300曲ほどの歌曲を残したトスティでも最も親しまれている作品です。ナポリ音楽院に12歳で入学した神童だったようで、先日紹介したフルート協奏曲を書いたメルカダンテにも師事しているようで、教官助手も務めていたようです。生まれ故郷でオルガン、指揮者、声楽教師としてキャリアを始めるとともに歌曲を書き始め、やがてローマなどに活躍の場を広め、イタリア王室の声楽教師となり、1880年ころから当時最大の音楽市場であるイギリスに赴き、イギリス王室の声楽教師にともなりサーの称号まで得ています。サロン風な上品な作品が多く、ヨーロッパ中でもてはやされていたようで、楽譜もよく売れたようです。現在でも声楽を勉強する方には好んで取りくまれる方も多く、一部には特に自分で歌われる方には絶大な根強い人気もあります。
 この「君なんてもう」は友人でピアノも嗜むカメロ・エッリーコの詞に、トスティには珍しくオペラティックで雄弁な旋律をつけています。魅力的で聴くだけでゾクゾク鳥肌が立った記憶があります。歌詞は振られた男の情けないみれたらたらです。
「君のことなんか想いもしない。別の理想の人を夢見ているから 君なんかもう愛してないのさ。」 「似てる誰かを愛せるから」なんて言う日本の詞を思い出しませんか?
旋律は恨み節でなく、明るく彼女との美しい思い出を大切に歌い上げていて、共感がもてます。ちなみに日本語訳の題「君なんてもう」余韻がありますが、原語では「Nont’amo piu(君をこれ以上愛せない)」断定しています。訳詞の戸口幸作さんの妙ですね。この曲が日本でかなり広めに知られているのは、この訳題も寄与しているのでしょうね。


 お勧めの一枚はあえて女声で
 スミ・ジョー(ソプラノ)ヴィンチェンツォ・スカレーラ(ピアノ)録音1997年


テクニックには走らずに暖かな声で端正に歌われていて一押しの録音だと思います。